機関誌「IMF-JC」2005年冬号

特集
―第2次賃金・労働政策の取り組み−

「賃金・労働時間の社会性と労働組合の役割」
対論:2005年闘争シンポジウム
●学習院大学経済学部教授
今野浩一郎(いまの・こういちろう)
73年東京工業大学経営工学学科大学院修士課程修了。73年神奈川大学工学部工業経営学科助教授。80年東京工芸大学教育学部助教授。92年学習院大学経済学部教授(現在)。主要著書:『中国企業の経営と雇用管理』(日本労働研究機構,99年)、『勝ちぬく賃金改革』(日本経済新聞社,98年)、『人事管理入門』(日本経済新聞社,96年)他多数。
●(財)社会経済生産性本部 社会労働部部長
北浦正行(きたうら・まさゆき) 
73年一橋大学卒業後、労働省に入省。各局に勤務し、新潟県・経済企画庁への出向、能力開発課長その他を経て96年退職。同年(財)社会経済生産性本部に入職。雇用システム研究センター部門長を兼務。人事労務管理、労使関係などを専門に、各種の研究会の運営や執筆・講演活動に従事。主な著作「定年制廃止計画」(共著:東洋経済)、「介護サービス労働の現状と課題」(勤労者福祉振興協会)他多数。
●IMF−JC事務局長
團野久茂(だんの・ひさしげ)
73年日本鋼管鞄社。80年日本鋼管本社労組副執行委員長、82年同書記長。86年同執行委員長。86年鉄鋼労連東京都本部委員長。86.9.連合東京副会長。92.9.日本鋼管製鉄労連中央副執行委員長。94年金属労協事務局次長(労働政策局長兼任)。02年金属労協事務局長代行。02年9月金属労協事務局長(現)

いま、なぜ、賃金の社会化が問われているか

今野 ここでは「賃金の社会化」という問題に絞って対談をさせていただきたいと思います。
 また、團野さん、北浦さんの意見と私の意見が同じかどうかにかかわらず、團野さんと北浦さんの意見に懐疑的な立場に立って、司会をさせていただきたいと思っております。



 最初の論点ですが、「賃金の社会化、社会化と言うけど、これまでそんなこと言ってこなかったじゃないか、なんでここにきて急に社会化なんだ」ということについて、改めてもう一度、短く完結に、重要な点だけを整理をしていただいて、お話をしていただきたいと思います。

公平間のある納得できる賃金が求められている

北浦 なぜ社会化が問われるようになったかということについては、まず、基本的に賃金水準というものが向上し、生活水準もそれなりに上がってきている。そのような中において、賃金について、何を求めていくのか。この考え方の変化が大きいと思います。
 安心できる賃金から、公平感を持った納得できる賃金という方向に、価値観が変わってきている。自分の会社の中での評価も当然ですが、社会的に見て、まさに自分の価値に納得性を求めてきています。
 今までのように、人基準といいますか、年齢、勤続、場合によっては学歴、それに男女という属性で決められるのではなく、もっとその人の能力であるとか、その能力の具体的な発現で決めていくべきであるという発想が、まず一つあるのだと思います。
 では、能力別の賃金、仕事別の賃金となるのですが、能力か仕事かというところも、非常に難しいところです。日本は職能給を中心にずっとやってきたわけですが、その職能給は、能力といいながら、その能力の表れた結果である仕事へのつながりがあまり評価されていませんでした。
 そのような意味で、やっていることが公平に評価されているのか、きちんと評価されているのかという基準から考えると、大変不満足な状況が生まれてきているのだろうと思います。公平感を持ち、より高い仕事を目指す動機を生ませていくためには、能力か仕事かというところの整理が若干ついていない面もありますけれども、仕事をベースにしたような基準へのシフトが生まれてくる背景があるのではないかと思います。

仕事・役割・能力に応じた賃金決定システムへ

團野 今回の「第二次賃金・労働政策」の考え方は、日本の労働市場が迎えるであろう変化に合わせて、労働組合としての役割をきちんと対応するように整理していく必要があるということであります。
 アメリカの産業生産性を一〇〇にしたときに、日本の平均的な産業生産性は六十ぐらいだといわれています。金属産業は、それに対して百二十ぐらいあるといわれているわけでありますが、一方、処遇条件の水準は全産業の九五%に置かれているということで、これは何とかしなければいけない。春闘のやり方も、大いに変革をしなければいけない。これからの労働市場の変化の方向に合わせてどうするか、また金属産業の組合員の働いている処遇条件を引き上げる方法として、これまでどおりのやり方ではなくて、仕事、そして役割、能力に応じたような賃金制度を考えていく、そして、賃金決定システムも、その方向に持っていくということだろうと思います。
 連合全体の中でも、そのような改革をきちんと実践できるのは、ここに集まっている金属産業の各組合の力しかないと思います。したがって、いずれ労働市場にそのような変化が来るとすれば、われわれがこれからやろうとしていることは意味を持ってくるし、それなくしては今後の賃金決定システムは考えられないということを、「第二次賃金・労働政策」で考え方を整理したということであります。<ページのトップへ>


能力・仕事による賃金と生計費

今野 ありがとうございました。お二人のお話は、一つには労働市場が変わったからということと、もう一つは、賃金を決定するときの公平性を考えたときに、人の基準ではもう難しくて、仕事や能力の基準でいかないと難しい。しかも金属産業は賃金が低いということを改善するためには、そのような方向で行かざるを得ないのだというお話だと思います。
 しかし、お二人は、意外にあいまいなことをおっしゃっています。「人基準から何とか基準に」と言うときに、仕事だとか、能力だとか、役割とかそのときに言い方を変えているのですね。どれをもって、今後の新しい賃金決定の基準とするのかということ、もし能力とか仕事だと言うのだったら、もう少し具体的にどのようなことを言いたいのか、また生計費の問題はどうするのですかということをお聞きしたい。

産業・企業の働き方の実態に合わせた賃金決定を

團野 金属産業とひとくくりで言っておりますが、産業ごと職場ごとに働き方が違います。基本は、働き方に応じてきちんとした処遇が受けられるということだろうと思います。
 もう一つは、年功的要素を残さなければいけない働き方があれば、それは残したほうがいいのではないか。全面否定する必要は全くないということだろうと思います。制度としては極めて有効だということで判断されれば、それは残せばいいではないかと考えます。これは金属産業全体の考え方でありますので、「働き方や職種に応じ、能力や仕事の役割をキーにした公正な賃金制度」などというように表現をしているのは、非常に幅が広い産業であるということで、一つを明確に「こことここだけでいいよ」というわけにはいかない。このような考え方をベースに置いてもらった上で、五産別がそれぞれどうするかということの考え方を整理してもらう必要があるということだろうと思います。
 それから、日本の雇用の良さ、すなわち人に焦点を当てて、企業内に入れば企業内教育を施し、そして業務経験と業務知識を積み増すごとに、それに合った処遇を施してきたという、この本質について、わたしは堅持すべきだろうと思います。それを堅持した上で、社会的な賃率形成において、九五年闘争以来JCが言ってきた、個別銘柄別賃金決定方式という考え方をベースに置いて、その銘柄を工夫することによって、ある程度の大くくりの職種別の賃率を形成するというところからスタートをしないと無理があるだろうと考えているところであります。<ページのトップへ>
 
賃金水準が生計費を上回ることが大切

團野 生計費については、九七年の「賃金・労働政策」を作りました当時で、概ね年功給と仕事給の割合が50対50だとか40対60だと言いましたが、年功給の部分である四割だけで生計費を全部カバーしているかというと、そのような実態には全くないわけであります。したがって、労働組合として生計費要素をどのように考えるかということは、切っても切り離せないわけでありますが、賃金制度の中に生計費要素をどのように組み合わせるかというやり方よりも、出来上がった賃金制度全体の中での水準が、生計費をカバーできているかどうかなどを組合がきちんとその都度チェックするならどのような制度でも構わないのではないか。ただ、そのような生計費要素をどうするかという組合の役割観点をなくしてしまってはいけないと思います。
 それから、97年の「賃金・労働政策」でも、仕事給としては職能給制度が日本の場合概ね多いというように、レポートを出した経過があります。あれも立派な能力給だったと思います。ただ、能力を尺度として評価する上で、年功的運用を会社側がしたということです。したがって、能力評価を上げると会社が言うのであれば、どのように評価するということも含めて、きちんと全体をシステムとして整理してもらわないと、これからは立ち行かないのではないかと、思っております。

今野 一点だけ確認したいのですが、賃金決定要素からは、生計費は外していいということですね。
 例えば、大手のいろいろな企業の中では、二段階の賃金制度になっていて、ベースの部分が生活給になっている。年齢給という場合もあります。これは理屈としては生計費に対応するとされていますが、将来的には、このバース部分は要らないということですか。

團野 制度上の仕組みとして、生計費と合致したような制度がなくても構わないと思います。
 現時点における金属労協の考え方としては、個別企業ごとに、その制度の中身まで、こうなければいけないということまでは言及しておりません。やはり日本の場合は企業内組合が中心でありますし、個別労使交渉がベースでありますので、そのやり方については、個別企業労使ごとにきちんと工夫していただければ結構だと考えております。

今野 15年ぐらい前に同じような質問を金属関係の組合の人に言ったら怒られました。時代が少しずつ変わりつつあるなということを実感いたしました。

賃金水準と生計費は切り離せない

北浦 生計費について少しわたしも。決定基準という考え方からいくと、やはり変わってきているのかなと思います。生計費がベースにあって、それにいろいろなものをプラスアルファするというよりは、出来上がった賃金を生計費によってチェックしていくというような感じに変わっていくのだろうと思います。
熱心に話を聴く参加者
 ただし、賃金水準の問題と切り離すことはできないだろうと思うのです。賃金水準が低い場合、あるいは、まだ低い段階においては、生計費曲線という存在をにらんでいくといことは、やはりぬぐい去れないだろうと思います。そういった意味で賃金体系論的に言えば、そこに生活給的なものを加味するということは、避けられない問題です。あるいは中小企業に行けば、生活給要素を残すというのも、それもすべて賃金水準との兼ね合いで考えないといけないだろうと思います。もし十分に水準が高ければ、それはどちらかというとチェック要素であり、本来満足できる賃金が出来上がることが理想なのだろうと考えれば、生計費論というのはクリアできます。
 ただ、そのときにもう一つだけチェックしなければいけないのは、生計費の変動というリスクということは少し考えないといけないということです。非常に生計費が上がっていくような局面のときなどは、チェック基準ではなくて、決定基準に回るということもあるだろうと思います。あとはライフサイクル的な問題もあります。


労働の対価は仕事の対価

北浦 そして能力と仕事ですが、賃金は一体何に払うかというと、結局仕事に払うのであって、つまり労働の対価というのは仕事の対価ということになるわけですね。すると、仕事は人間と切り離されるものではないので、能力と仕事は無関係ではないわけです。
 問題は、職能資格制度の前提として、能力によって格付けし、それにふさわしい仕事をあてがい、仕事の値段とのつり合いで、うまく能力給が出来上がったという仕組みがうまくいかなくなった。能力は能力で見て、能力の見方も人で見るということは、恣意的なものも入るし、それをなくそうと思えば年功的な運用に安易に流れてしまう問題点が出る。それが現状だろうと思います。
 その意味において、本来の原点に戻れということが仕事別という発想です。ただし、その仕事の中に能力の要素が抜けてしまうわけではない。ただ、観点を仕事ベースにしていく。そのほうが、客観的にものも見やすいし、社会化という、横に比較をするときの基準も作りやすいということです。<ページのトップへ>


金属産業全体の賃金水準を整える仕組みづくり

團野
 金属産業全体の中で、そのようなことを自立的にできる組合ばかりではない中で、どのように金属産業全体の賃金水準を整えるのか、その仕組みが必要だろうと思います。
 賃金水準の一番高いところをトップバッターに出し、経済社会の背景をベースにして賃金水準を作る役割を追求したのが今までのJC共闘だったと思うのです。中規模、小規模のところの賃金水準を引き上げてきたかというと、まだ追求しきれていないと思います。企業規模ごと、組合規模ごとの横の共闘を、JCとしてはどのように作り上げるかということが、当然必要だろうと思います。
 それから、連合が「地場共闘」と言っておりますが、実際にはまだ何も組織化されていないという認識であります。また、連合の中で「中小共闘」というのがありますが、金属がほかの産業と共闘を組んでも、賃金水準上や処遇条件上の共闘にはなりきらないと思っています。金属産業の中で、横共闘が展開できれば、それに越したことはないわけであります。
 したがって、賃金論的な考え方だけですべてが丸く収まるとは、わたしは考えておりません。

今野 今のお話で、仕事重視といっても、能力の面は非常に重要だということをおっしゃったのですが、にもかかわらず、能力だ、職能資格制度だといって、今の状態ができてしまったのです。
 そうすると、能力と言ってしまうと、「また元に戻るのか」という心配がある。ということは、能力といっても「前とこんなふうに違うぞ」とか、仕事といっても「こんなイメージなんです」ということを、少し明らかにしていただくと、私も少し安心するのですが。

北浦 難しいですね。その仕事の定義は何か、従来の能力と違う意味で、能力をどう定義付けるかができればいいわけですが、やはりその二つが切り離せないというところが問題だと思うのですね。
 やはり職務の作り方の構造が、日本とほかの国が基本的に違う。日本は大きなくくりの中で、柔軟性を重視してやっていた。だから一つの会社が一つの職務の中で柔軟性を重んじて小さな仕事を配分するような仕組みでやっている。それでうまくいった一方、そこにあいまい性があるわけで、必ず能力に応じた仕事配分がきちんといくのか、やっていることがちゃんと評価されているのか、常にそのような不満が生じやすいわけですね。
 かといって、小さい職務としたら、この技術変化の激しいときには頻繁に書き換えをしなければいけない。また、職務の基準書を作ることに時間がかかるというように、小さく作ることの弊害は出てしまうわけですね。
 また外部労働市場がどれだけ発達するかという問題もあって、やはり日本はまだまだ中で仕事を移るという構図を取る、内部昇進型がやはり要素としては高い。そうなると、仕事の作り方は、ちょうどその間ぐらいがいいのではないか、まさに大くくり職種別というのがいいアイデアなのかなという感じはしております。
 ただその大くくり職種というものが、日本の中でどれだけ認知されるのかが問題です。日本の場合には、職種というのもなかなか認知されにくい現状で、果たして一つのくくりであるというように世間が認知できるのか。そこで働いている人が、それが一つのくくりの仕事で、わたしの仕事はこれだと、このように認知できるのか、ここが問題だろうと思っています。

日本の現状を踏まえた大くくり職種

團野 ですから、あまり小くくりにしても生産性の観点からいって機動力を発揮できませんし、生産変動に対応できないような考え方ではだめだと思っています。大くくりで決めていくというやり方が、一番日本に合っているのではないかと考えているわけです。
 では、将来的にどのようなイメージを持つのかということでありますが、明確に申し上げる答えはまだ持ち合わせておりません。JC共闘の一つの指標として、内部で賃率を形成するという努力をスタートとしてやりたい。それを積み重ね次のステップを踏んでいきたいと考えています。<ページのトップへ>


能力開発のあり方

今野 能力の面については、「仕事と能力は切り離せない」というメッセージが非常に重要かなと思うのです。切り離さないといったときに、ではどうするのかということが問われるのかなと思います。
 役割や仕事だというように重視をしてくると、企業は仕事を中心にいきますから、教育に手を抜くのではないか、加えて成果主義のようなものが絡めば、もっとそれが促進されるということになって、日本の社会・企業の教育力が落ちて、長期的に見るとひどい状況になるのではないかという批判が必ず起きますが、どうお考えかをお聞かせ願いたいのですが。

北浦 全くそのとおりで、一番の心配はそこだろうと思うのです。能力をどう高めていくのか、それはだれの責任か、が問題になるわけで、多分に自己責任の領域が出てくることは間違いないだろうと思います。また、能力開発も個人主導型になっていくと思います。
 ただ、個人主導型というのは、個人に全部責任を負わせるということではなく、主導できるように、会社のほうも環境を整えることが前提になければならないわけです。また、一番重要なのは学習ですから、学習できる時間を考えると、それが労働時間の問題につながっていく。ですから解決の仕方は、まさにトータルな労働条件全体の中で、環境作りを会社に対して求めていくという姿勢は残るでしょう。
 もう一つは、労働組合がもっと積極的にやってくれたらいいと思います。労働組合が手助けをして、能力開発の環境整備についても企業に対して発言をしていくことは、企業内でのパワー・オブ・バランスを考える点でも意味があると思います。

企業内教育の重要性

團野 確かにこの20年を見てみますと、企業が企業内教育の手を少し抜き始めているという傾向が出始めている。これは非常に危機であると考えております。日本の雇用システムの基本、良さがそこにあったわけでありますから、きちんとやらなければいけないと思います。ただ、外部にそのような機能や役割を持っているところが出てくれば、そこを活用することもあっていいだろうと思います。
また、企業がやらないのであれば、労働組合自身が手を着けてもいいのではないかという考え方も出てきていると思います。一方、企業の中で力を発揮していただくためには、企業の中で教育を施すしかないという考え方もあるのだろうと思います。
 もう一つは、この十年来の諸合理化の結果、必要な要員と実在者が極めてタイトになってきている。そのような職場環境で、教育をする余裕がなくなり始めているのだろうと思います。ここにも目を向けなければいけないのではないか。自分たちの仲間がきちんと教育ができるようにするためにはどうしたらいいのかを工夫し、労使交渉をもっと強化していかなければいけないのではないかと思います。

今野 これだけ国際競争が厳しい状況の中で、教育は不可欠であるというのは、総論ではみんな言うのですね。では、企業がそのために何をしたかというと、よく見えない。企業の社内教育が一番重要だろうと思うので、どうしたら企業を動かせるのかが次に問題になると思いますが、いかがですか。


労働組合が企業の教育力を点検する

北浦 政府の政策としても、今そこが焦点になってくるでしょう。ただ、企業に強制することはできない。そうなると、やはり中での論理でしかないだろう。企業の論理を作るのは何か。それは労働組合であろうと思います。労使協議の中でも課題として挙げていくことももちろんでしょうし、労働組合がこのようなことをやるけれども、会社と労使共同でやれないかとか、あるいは何か援助の手段を引き出せないかなど、問題提起をするにも中からの改革者的な発想でいかないといけない。いずれにしても、企業の教育力を点検するというのは、労働運動として大いにやってもらったらいいのかなと思うのですが、どうでしょうか。

團野 外部に依存してできる教育と、企業の内部でしかできない教育があると思うのです。ですから、一般的な教育だけ施しても、現場の力をより一層高めるためには、役立つ部分と役立たない部分とあると思うのです。したがって、教育の内容によって考え方を切り分けていく必要があるのではないかと思うわけです。
 また、これまでの十年間というのは、やはり各企業労使も、生き残るために徹底的にやってきたのだろうと思うのです。これからは、要員と在籍の問題、人材の育て方、について重点的に話し合いをしていく必要があると考えております。

今野 そうなると、何の視点で点検するのかということが重要なことになると思うのです。しかし日本の企業が教育訓練に熱心なのかどうなのかということを量る証拠はどこにもない。労使とも教育訓練が非常に重要であれば、そのための何らかのメッセージを今後出していただきたいですね。
最後に、賃金の社会化をするといったときに、政府に何を期待するのかとか、社会でこのようなインフラがあったほうがいいというような、広い観点からみた条件整備の問題があると思うのですが。<ページのトップへ>


賃金の社会化のためのインフラ整備

北浦 やはり社会的な相場観というものが常に問題になってきますので、まずは賃金統計を整備していくことが必要です。そのときの前提として、仕事を共通言語で語るということをやらなければならない。その両方の作業をやっていかなければなりません。しかし、なかなか政府ベースでできないとすれば、まずは金属労協などが範を示して、それをベースに国全体に広げてくれと、このように持っていくのがいいのかなという感じはいたします。
 大くくりの仕方は、ピンポイントではっきりしたものを見つけてきて、それをベンチマークにするような方式がいいのではないかと思います。そのピンポイント統計を作るなど、仕事別の賃金の実態を明らかにする作業は、ぜひ政府として、インフラ整備を行ってもらいたいと思います。
 もう一つ、能力開発の問題は、企業の労使だけでは越えられないところがあります。企業だけでは十分でないところを、政府の仕事として、かなり公的な役割でカバーしうる余地がたくさんあるだろうと思います。

團野 ヨーロッパでは、労働協約を拡張適用するというやり方があるということを認識しなければいけないと思うのです。
 今の政府の考え方は、すべてを市場に任せようという方向だと思うのです。少子・高齢社会に突入し、その中で働ける人、年を取った人などいろいろな人たちが出てくるわけで、社会全体でどのように経済社会を維持していくのか、また発展していくのかを考えれば、社会的に必要なルールを全部切り捨て過ぎているのではないかと思えてしょうがないのです。ですから、政府に求めたいのは、これからの経済・社会の運営において、根本的な考え方をどこに置くのかということを、きちんと確立してほしいと思います。その中で、いろいろな話し合いができていけば、ありがたいと考える次第であります。

均衡処遇の問題

北浦 仕事をベースにした賃金に変えることの一つの効用は、仕事に具体的に必要とされるものが見えてくることです。どのような行動をしたらいいかというのが労働者のほうで分かりやすくなる一方で、経営側にとっても、その問題点をオープンにすることになります。つまり、仕事の値段が不公平だったときに、指摘ができるわけです。
 そうなれば、いわゆる正社員と呼ばれている人以外との均衡の問題に、大変影響を与えてくることになります。この問題も労働組合にとって非常に切実な問題であり、組合員でないけれども、同じ企業に働く人たちに対して機能していくという面もあるのではないかと思っています。
 今の均衡論議というのは、まずパートでない一般社員の問題からクリアしないと、解決しないような形になっていますので、まさにこの問題を考える上でも重要ではないかと思います。

今野 ありがとうございました。
 最後、「これだけは言っておきたい」ということがございましたら、最後にお願いいたします。

北浦 では、あと一つだけ。
 職務給ということについて昔は、経営側が提案して、労働組合が反対したという歴史があります。今は仕事ベースを本当に労働組合が考えています。別にそれは経営側の論理に負けているわけではないという感じがするのですね。
 元々、どちらが労働者的かというと、実は労働者が強い場合には職務給でいくのではないか。それが会社の中に取り込まれてくると、職能給なのではないか。職能給が何となく優しい賃金のような感じに取られてきましたが、この時代に来ると、難しさが露呈してきた感じがします。ですから、労働組合が仕事別をもう一度この時点で再度提起することは、本当に原点に帰ったような感じで、またこれは大変意味のあることなのだろうと思います。
 要は、労働組合として、このような賃金にすることが、本当にやはり一番望ましい、あるいはいい暮らしを作る、いい働き方を作る、そのようなことにつながるのだということが確認されれば、大変意義があるのではないかなという感じはしております。

賃金の社会性の再構築

今野 それでは、そろそろ時間も参りましたので、最後に私の感想だけお話をさせていただきます。
 今回は、「賃金・労働条件の社会性」ということがテーマでした。私は、社会性のない賃金・労働条件などあり得ないと思っていまして、ですから本当は今日のテーマ名は不満なのです。つまり、年功賃金の時代にも社会性はあった。ただ、仕事や役割でもう一度賃金を決め直す、社会性を再構築するということだろうと思います。
 私自身も、やはり仕事や役割でもう一度組み直すしか道はないと思っております。ただ、賃金の仕掛けを変えるということは、生活を変えるということです。それに絡まって労使関係も変えるし、企業内の人事の仕組みも変えるということになりますし、その周辺が全部変わります。言ってみると、社会的大改革でございます。ですから、マクロ戦略は明確にして、途中は柔軟に、でも気合いを入れていく、というのが非常に重要かなと思います。
 私も、仕事のくくり方や仕事別賃金をどうするかを考えるコンソーシアムというのを作ろうと思っていますので、團野さんにも、ご協力よろしくお願いします。
 大変重要な社会的な作業ですので、ぜひとも組合の方にも、それに向かって、時間をかけながら頑張っていただきたいと思っております。
(2004年11月10日、文責・編集=IMF−JC)<ページのトップへ>

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