「私は囚人ではなく、体制の人質だった」――ベラルーシの刑務所から釈放されたゲナディ・フェディニッチ
2026-02-18

ゲナディ・フェディニッチ、2026年12月、ビルニュスにて
ゲナディ・フェディニッチは、独立したベラルーシ無線・電子産業労組(REP)の長年にわたる指導者である。ゲナディは、ベラルーシの自由労働組合に対する弾圧で投獄された多くの労働組合活動家の1人であり、9月に刑務所から釈放され、何の書類も年金受給権も与えられないまま、直ちにリトアニアに国外追放された。
インダストリオールは昨年12月にビルニュスを訪れ、ゲナディ・フェディニッチと会談した。このインタビューで彼は、自身の投獄、健康状態、ベラルーシにおける独立労働組合の破壊、亡命中の組合活動家が直面する課題について語っている。
ベラルーシは労働者にとって世界最悪の国の1つであり、独立労働組合が解体され、労働権が刑法で禁止され、結社の自由が完全に抑圧されているため、国際行動とILOの介入が緊急に求められている。ベラルーシの組合は2020年8月から攻撃を受けており、組合事務所や組合指導者・活動家の自宅が捜索され、労働者の権利を求めて闘う人々が行政処分や拘束、禁固の対象になっている。
国外追放されたとはいえ、あなたは自由だ。今日の調子はどうか?
「刑務所は人に強い影響を与える。私は失われた健康を取り戻そうとしているところだ。刑務所で糖尿病になり、本当は人工関節置換術を受けなければならなかったが、断った。医師の1人に、手術は受けないほうがいい、助からないかもしれないと言われた。ベラルーシでは人を治すのは問題だが、死体を処分するのは問題ではない」
あなたは長年、労働組合運動に関わってきた。振り返ってみて、特に印象に残っていることは何か?
「32歳で労働組合運動に加わり、35年間活動した。後悔はまったくない」
ベラルーシ国家保安委員会(KGB)は2022年4月、REPを過激派組織に分類し、その活動を禁止した。KGBは、過激主義的とみなされる特定の資料の廃棄を命じた判決にREPが従わなかったと主張した。REP側の反論は単純明快だった――そもそもそのような判決を受けていないため、上訴も遵守もしようがない。
「KGBはその事実を知ると、この事件を終結させるべきだと判断した。だが、終結には上級幹部への報告が必要だったため、事件は継続し、判決自体が実質的に捏造された」
「ベラルーシでは、年を追って労働組合への圧力が強まっていた。なぜREPの指導者たちが8年、9年、10年の最も長い懲役刑を受けたのか、私は常々疑問に思ってきた。KGBに、16年間も私を監視していたと言われた。ずいぶん長い年月だ」
投獄された理由は?
「あれは2023年、当時、私たちREP組合員3人は法廷で非公開の審判を受けていた。新しい罪(第130条)が導入され、さらに私たちは過激派とされた。この罪の刑期は最高12年だ。裁判所は過激主義を立証する事実を1つも挙げず、検察側はこの条文の適用を求めさえしていなかった」
「私たちはすべての容疑を否認したが、すべてが事前に決まっていた。ベラルーシにはいわゆる電話裁判があり、判決は法廷ではなく上からの命令で下される。裁判官は私たちに最高刑を言い渡さなかった。理由を尋ねると、私たちが退職者だからだと言われた。
刑務所の状況はどのようなものだったのか?
「職員はミンスクから命令を受けている。そして、政治犯は嘲笑の対象となる特別なカテゴリーに分類される。他の囚人たちは私たちとの交流を許されなかった」
「情報提供者は、政治犯に関する情報などの情報と引き換えに、紅茶やコーヒー、タバコを手に入れた。普通の囚人であれば、200ルーブル分の物品を購入できた。だが、政治犯は80ルーブル分しか買えなかった」
「最初は刑務所のキルトジャケットを支給されたが、あとで取り上げられた。夜は30分ぐらいしか眠れず、寒さで目が覚めてしまう。だから、たいてい起きて運動していた」
「誰もが独房監禁を経験する。私は10日間いた。独房にはベンチしかない。昼間は横になることを許されず、きちんと座っているしかなかった」
特に印象に残っている出来事は?
「釈放直前にKGBの刑務所に移送されたとき、朝にベラルーシの国歌が流れ、全員が起立を求められた。私たち13人が起立を拒否した。その結果、朝食を与えられなかった」
「事件の資料や私信、家族の写真、電気かみそり、そして700ルーブルの年金まで没収された。刑務所を出るとき、すべてが返却されたという文書に署名したが、実際には何も返却されなかった」
ベラルーシでREPを再結成することはできるだろうか?
「もちろん、再結成の正式な決定を下すことはできるが、事務所の返還を含む具体的な決定が伴わなければ意味がない。ベラルーシでは、独立組合活動家であることは非常に危険なので、現在のところ、簡単に労働組合を再結成できると言うことはできない」
「労働組合は政治面で重要だ。現在、ベラルーシでは今なお約20人の組合活動家が獄中にあることが分かっているが、私たちが知らない他の活動家もいるかもしれない」
「だが、いつかベラルーシの状況が変わるので、準備を整えておく必要がある」
今もベラルーシにいる家族とどのように連絡を取っているか?
「電話で話している。釈放後、自分が釈放されたことを確認する書類すら渡されなかったが、妻と長男が会いに来てくれた。あるとき、妻のところに私の所在を訪ねる電話がかかってきた。妻はこう答えることを覚えた――あなた方が連れて行った場所にいます、と」
「けれども、離れて暮らすことは私たちにとって大きな問題だ。一緒にいたいが、どこに住むか。妻は退職するので、一緒に暮らせるだろう。ベラルーシの法律が変更され、不動産取引を行うには実際に国内にいなければならなくなった。私はもう国のパスポートを持っていないのでベラルーシに戻れず、今のところ行き詰まっている」
「これは簡単に解決できない不安定な状況だ。だから、ベラルーシにいる親族を守るために、言動に注意しなければならない。だが今も、将来はミンスクに戻る計画を立てている。この不安定な状況に単純な解決策はない」
