広報ニュース

第25号インダストリオール・ウェブサイトニュース(2014年6月)

瀬戸一郎氏が逝去

2014-06-05

 

瀬戸一郎JCM初代事務局長

日本の金属労働者が国際労働運動に参加する道を開いた先駆者、瀬戸一郎氏が86歳で亡くなった。

  全日本金属産業労働組合協議会(JCM、旧IMF-JC)創設者の1人で初代事務局長に就任し、国際金属労連(IMF)書記次長(1977-1993)も務めた瀬戸一郎氏が、2014年5月7日に亡くなった。

 IMF(国際金属労連)は1893年に自由で民主的なITS(国際産業別組織)の1つとして設立され、人権、労働組合権、民主主義および社会正義を求める闘いにおいて世界中の金属労働者を統一した。

  日本では、1950年代以前からIMFの存在がかなり知られていた。IMFは、高度経済成長を受けた新しい労働状況に対処するために、日本で組織化活動を進める連絡事務所を開設する計画を立てた。

 1957年4月にIMF日本事務所が開設され、瀬戸一郎氏が所長に任命された。瀬戸氏はアルフレッド・ダンネンバーグIMF書記次長と協力して、日本の金属労働者の組織化活動を開始した。1957年5月、IMF日本事務所は、組織化活動のための手段として「国際金属労連ニュース」の定期刊行を始める。IMF役員や加盟組織幹部による各産別組織の行事への表敬訪問や友好参加、日本の金属労働者代表によるIMF会議・会合へのオブザーバー参加など、瀬戸氏の精力的な努力を通して、IMFは徐々に日本の金属労組の間に存在感を浸透させると共に、信頼を獲得していった。

  経営側は、貿易の自由化に対処するために企業構造の強化に取り組み、1962年から1963年にかけて、業務提携や統合を通して激しい国際競争を乗り切ろうとした。日本の金属労組はIMF参加の必要性を認め、IMF-JC(全日本金属産業労働組合協議会)の結成を決定、賃金・労働条件を改善するために闘いを開始した。1964年5月16日にIMF-JCが結成される。発足時の組合員数は47万人で、金属労組がナショナルセンターの枠を超えて結集した。出身母体は4産別と2つの企業別組合、すなわち電機労連(電機・電子労働者)、造船総連(造船労働者)、全国自動車(自動車労働者)、全機金(金属・機械労働者)、八幡製鐵労組、中山製鋼労組である。

 結成大会の代議員は、福間知之氏をIMF-JC議長に、瀬戸一郎氏を事務局長に選出した。1966年には、鉄鋼労連を通じて日本の全鉄鋼労働者がIMF-JCに加盟する。

 1964年11月にウィーンで開催された第20回IMF世界大会は、全会一致でIMF-JCの加盟を承認した。

 IMF-JC結成後間もなく地域レベルの組織化活動も強化され、1968年までに9地連体制が確立された。IMF-JCの組合員数は1968年9月に100万人を超え、今では200万人に達している。

 瀬戸一郎氏は、日本の金属労働者にとってまさに先駆者であり、金属産業における国際労働運動の発展に多大な貢献をした。

1957年ジュネーブで打合せするアルフレッド・ダンネンバーグ氏と瀬戸一郎氏

 

« 前のニュース  次のニュース »