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第52号インダストリオール・ウェブサイトニュース(2016年5月9~11日)

ミャンマーの重金属産業の労働環境

2016-05-09

 

ヤンゴンのサウス・ダゴン工業団地――写真:デービッド・ブラウン

ヤンゴンのサウス・ダゴン工業団地――写真:デービッド・ブラウン

ヤンゴンのサウス・ダゴン工業団地で防護用具をほとんど身につけずに働く労働者――写真:デービッド・ブラウン

ヤンゴンのサウス・ダゴン工業団地で防護用具をほとんど身につけずに働く労働者――写真:デービッド・ブラウン

子どもたちは働くために年齢をごまかすことが多い――写真:デービッド・ブラウン

子どもたちは働くために年齢をごまかすことが多い――写真:デービッド・ブラウン

ヤンゴンのサウス・ダゴン工業団地でほとんど無防備のまま働く労働者――写真:デービッド・ブラウン

ヤンゴンのサウス・ダゴン工業団地でほとんど無防備のまま働く労働者――写真:デービッド・ブラウン

ヤンゴンのサウス・ダゴン工業団地(第3地区)には、金属作業場や店舗、小工場が迷路のように建ち並んでいる。ここで何人の労働者が雇用されているのかさえ誰も知らない。1万人が働いていると言う者もいれば、2万人だと言う者もいる。

 この一帯は熱とほこりに満ちており、注文に応じて重金属が切断、加工、溶接され、打ち延ばされている。ボルトから金属板、鉄柱、用具、金属パイプまで、ビルマの産業と創造力を分かりやすく示す場所である。

 しかし、この工業団地は、ミャンマーの揺籃期にある労働組合運動が非常に困難な仕事に直面している実例を示してもいる。組合運動を主導しているのは、ナショナルセンターのミャンマー労働組合総連盟(CTUM)(旧ビルマ自由労働組合(FTUB))で、隣国のタイに24年間亡命した末、昨年7月に公式に承認されたばかりだ。インダストリオール・グローバルユニオンはミャンマーに、いずれもCTUM傘下の加盟組織が2つある。すなわち、ミャンマー産業労連(IWFM)とミャンマー鉱山労連(MWFM)である。

 ミャンマーでは労働者が無慈悲に搾取されていると言うと、控えめな言い方になるだろう。

 かつてビルマと呼ばれたこの東南アジアの国では60年にわたって残忍な軍事政権による弾圧が行われた。推測するしかないが、これがその結果なのだろう。

 しかし驚くべきことに、国民は――おそらく昨年11月のアウン・サン・スー・チー女史当選後の民主主義の到来に奮い立たされて――幸せそうである。

 確かに、サウス・ダゴン工業団地で働く45歳の金属労働者Ko Khin Zawは、1日9時間働いて5,000チャット(4米ドル強)の賃金に十分満足しているように見える。

「食べて眠れるだけの金を稼いでいる。もちろん、もっとたくさん稼げたほうがいいだろう。でも、これで十分。私は幸せだ」と45歳は言う。

「2人の息子も働いている。長男のHtein Linは22歳で、町の自動車ショールームで清掃係として働き、13万チャット稼いでいる。次男のLumin Khantは16歳で、ここで私と同じように金属労働者として働いており、日給5,000チャットだ。だから、3人合わせれば何とかやっていけるだけの収入がある」

 だがKo Khin Zawは、私がインダストリオールの依頼でここ4日間にサウス・ダゴン工業団地で話を聞いた労働者の大多数と同様に、労働者の権利や労働組合主義のことをほとんど知らない。

 安全衛生についてはどうかと尋ねてみた。使い古して傷んだ竹製の日よけ帽を粋にかぶっているが、頭上から照りつける日差しを避けることはできても、金属の塊が飛んできたらひとたまりもないだろう。

 安全帽や手袋、作業ブーツは支給されているのだろうか。返ってきた答えは、「いや、何も支給されていない」だった。

 けがをしたり病気になったりしたらどうなるのか、とさらに聞いてみた。

「それは社長が面倒を見てくれる」と彼はきっぱりと言う。

 金属労働者が住んでいる街はごみが散乱している。どの路地にも一面にごみがうず高く積み上げられ、いつか収集されるのを待っている。果物・野菜の食べ残しや人糞、果ては動物の死骸まで転がっており、腐敗臭が漂っている。

 水たまりでは蚊が涌き放題である。労働者の家は竹を格子状に組んだ小屋で、屋根は葦を編んで作り、拾ってきた金属板やアスベストまで使っている。

 子どもたちは瓦礫の中で遊んでいる。女性は家事や洗濯、掃除、木や炭を使った料理をしながら、男たちが仕事から帰ってくるのを待つ。

 工業団地を仕切っているフェンスの向こうから、大型機械の地響きが絶えず聞こえてくる。

 もし電気があれば、近くの電柱から不法に引いてきたものだ。売店がいくつかあり、わずかばかりの果物や野菜を売っている。

 娯楽と言えば、大したものではないが、紅茶やコーヒー、ソフトドリンク、チャーハン、麺類を出す間仕切りのない大きな「軽食堂」で見るテレビだ。

 サウス・ダゴン工業団地では児童労働が広く見られる。私が話をした年齢の「疑わしい」若年労働者全員が16歳だと答えたが、偶然の一致にしては信じがたい。

 話を聞いたある子どもは、実は12歳であることをとうとう認めた。

 Kyaw Zaw Heinは、午前中に5時間学校で勉強したあと、毎日4時間機械工場で働き、1勤務2米ドル強の収入を得ているという。

「機械整備のすべてを知りたい。学校よりここのほうがいい。僕は字が下手なので、いつも先生に叱られている。ここで仕事をしているほうが幸せだ」と幼い労働者は言った。

 その前に私は、作業場所有者のSein Myintが、未成年労働者をカメラに映らない場所にこっそり追い払おうとしているところを目撃していた。しかし結局、Myintは次のように認めた。「家族が仕事を覚えさせるために子どもここに来させる。18歳までには熟練労働者になるだろう。それが彼らの希望だ」

 私は工業団地全体で、何十人もの未成年労働者がせっせと働き、大人と同じ仕事をしている姿を見かけた。

 Soe Min Heweは歩道にしゃがんで、機械部品に有毒塗料を吹きつけていた。手袋も保護眼鏡もマスクも着けていない。

 Moe That Myingは汚れと油にまみれた顔で、燃焼ガス切断機や強力プレス機、金属と金属がぶつかり合う音が錯綜する中をはだしで歩いていた。

 「ご覧のとおり、安全衛生は非常に大きな問題だ」と、地質学者として訓練を受けた63歳のマウン・マウンCTUM会長は私に語った。

「すでに650支部の設立を支援した。しかし、まだやるべき仕事が山ほどあることは分かっている」

「大規模工場にもある程度進出しているが、このような小規模作業場のほうがはるかに組織化が難しい。衣料産業に重点を置いているが、もしかしたら重視しすぎかもしれない」

「労働省には労働監督官が70人しかおらず、1つの産業だけに集中することはできない。作業場の労働条件は20年前のタイを彷彿させる」

「60年に及ぶ独裁政権の結果、労働者は従順で脅しに屈しやすく、言われたことをするだけで、労働権のことなど知らない」

 インダストリオール東南アジア地域事務所のアニー・アドビエント所長は次のように述べた。「ミャンマーの工業地帯の仕事は困難かつ危険で、生活条件は劣悪だ。何年もの弾圧で、多くの労働者が現状を受け入れている。加盟組織は、このような状況に甘んじる必要はないことを労働者に示そうと闘っており、インダストリオールは加盟組織をとことん支援していく。これらの労働者は職場で安全と尊厳を保障されてしかるべきだ」

文:デービッド・ブラウン、ヤンゴン

 

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